「沖縄戦と日本軍 「慰安婦」制度」
(2004年12月16日『沖縄タイムス』文化欄掲載
12月14日、全国10ヶ所同時開催で日本の若者たちが、日本軍「慰安婦」制度被害女性を各国から招き彼女たちの「消せない記憶」を聞く集会を持った。沖縄では「平和会(ピョンファカイ)」の若者が中心となり、日本軍「慰安婦」にされた韓国のイ・オクソンさんを招き、沖縄国際大学で200人以上の人々と彼女の証言を聞くことができた。
今回のイ・オクソンさんの証言も身も凍るような話であった。「私たちのことを、金もうけで日本軍のところへ行ったというが、当時15歳の田舎の世間を知らない娘が、そんなことを知っているでしょうか」。日本軍により朝鮮から中国へ拉致され「慰安婦」にされ、逃げたが捕まり、軍刀で切られ、今も手、体に残る傷跡が毎日目に入るので「忘れることはできない」と証言された。「日本政府の公式謝罪・賠償より、私が望むことは日本軍<慰安婦>・性奴隷であった時の記録簿です」と言われた。
朝鮮人強制連行軍夫名簿の一部は近年旧厚生省が明らかにしたが、「慰安婦」についての日本側資料の開示は不十分なままである。国連人権委員会特別報告者クマラスワミ最終報告(2003年3月)は、「日本政府はいまだに第2次世界大戦中、軍性奴隷として捕らえられた”従軍慰安婦”に対する法的責任を受け入れていない。日本政府はまた、そのような犯罪の責任ある加害者の多くを処罰していない」と報告した。
戦時性暴力の責任者不処罰の問題が解決されないまま現在も戦時、紛争下で軍隊の性暴力が不問にされ被害者は増えている。しかし、被害を受けた女性たちは、日本軍「慰安婦」女性たちの証言活動に勇気を得て世界へ現実を訴えている。
1991年12月、金学順さんら日本軍「慰安婦」とされた3人が、元日本軍軍人・軍属・遺族とともに日本政府を相手に補償を求め提訴した「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求」は、世界に衝撃を与えた。特に、戦時性暴力被害者が加害国を訴えるということは考えられないことであったからだ。「戦時、平時を問わず性暴力は犯罪だ」ということを世界が再認識した瞬間でもあった。
日本軍「慰安婦」証言は、性暴力、沖縄戦を考える大きな転機となった。沖縄戦調査研究も戦争体験の証言・資料の扱いに、ジェンダーバイアスがかかっていないかどうか絶えず検証が必要だとかんがえられるようになった。
イ・オクソンさんの証言の前に20分ほど私が「沖縄戦と日本軍慰安婦」について、パワーポイント資料を中心に話した。これらの資料は、「慰安婦」研究によってあきらかになりつつある日本軍「慰安婦」制度の指揮命令系統と、日本軍の沖縄戦「陣中日誌」を中心としたものであった。資料は@日本軍が植民地、占領地に設置した「慰安所」の図示A日本軍が沖縄に設置した130以上の慰安所B山3475部隊内務規定のうち「軍人倶楽部に関する規定」(慰安所規定のこと)C日本軍にだまされて沖縄で「慰安婦」にされ、91年沖縄で亡くなったぺ・ポンギさんが75年特別在留許可を得るために「慰安婦」であったことをなのりでた日の新聞記事、を中心としたものであった。
日本軍「慰安婦」制度は、当時の女性差別、民族差別、貧困層の女性の犠牲を土壌とし、公娼制度を擬似して日本軍によって32年ごろ創設されたものである。沖縄女性も「慰安婦狩り」によって「慰安婦」にされたことは、若い人にとても理解しがたいことであったようである。参加した若者から「沖縄戦のことは、聞いたことがありますが沖縄にこんなに慰安所があったことは知りませんでした」という感想などもあった。
沖縄戦参戦の日本軍人エリートたちの軍歴に明らかなように、日本の15年戦争最前線で「南京事件」にかかわった者、32年上海で「慰安所規定策定」をした者、現在提訴されている中国山西省の「慰安婦」問題にかかわった将校は、62師団に配属されていた。「陣中日誌」や沖縄戦証言から、沖縄住民被害と同様なことが中国ですでに出現していたことが見られる。沖縄戦にどれだけの女性が「軍性奴隷」とされたか、生死はどうか。
沖縄戦で、日本兵の駐屯する島々に「皇軍将兵への贈り物として」”配給”した日本軍「慰安婦」制度研究も緒についたところである。
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