| 「沖縄戦と朝鮮人強制連行 下」
(2004年12月15日 琉球新報・文化欄掲載)
防衛庁の戦史では、各基地ごとに日本軍将兵の死没者数を明確にしているが、強制連行された朝鮮人軍夫や「慰安婦」については、すべて「不詳」の2文字で片づけている。朝鮮半島の人たちを虫ケラのようにみていた「天皇の軍隊」の考え方の反映である。これらの軍夫や「性の奴隷とされた女性たち」の運命にたいする無関心と無責任が、そのまま防衛庁の公刊戦史と一般の戦史にも継承されているところに問題ある。
沖縄体験が語られ、戦争への反省が論じられる場合、みずからの被害に関しては比較的多く取り上げられてきたのにたいし、戦争への加担を強いられた側面からの責任追及は弱かったといわねばならない。日本においては、極東裁判その他の場面においても、アジア諸国人民と日本国民の立場からの戦争責任追及はなされなかった。日本人は、みずからの被害を通して支配階級・戦争指導勢力の罪状をあばくことを怠り、アジア諸国人民にたいする加害に加担したことへの反省を欠くことになったのである。
日本の支配階級が、国民の耳目をふさいでアジア・太平洋諸国への侵略を強行したことは、すでに明らかである。この支配階級総体の犯罪と、そのなかにおける支配層個々の責任を追究する必要がある。支配階級をつくりだした「戦争の論理と論理の全体系」と、そのなかで誰が何をしたかを告発しなければならない。歴代の日本政府は、強制連行やアジア・太平洋の人々の苦悩については、調査もせずに放置してきた。日本人は、それを許してきたのである。
日本国の責任において、強制連行の実態を調査して公開し、それにもとづいて被害に見合う補償を実現する必要がある。さらには、国家対国家の取引で補償問題を解消するのではなく、国家対個人の関係においても国の責任を明らかにしなければならない。
アジア・太平洋の人々を戦禍にまきこんだことについて、痛みを持って思いおこすことがなければ、また、植民地支配を通して日本人が加害者の立場にあったことを、きびしくみずからに問うところがなければ、友好も連帯もあり得ない。沖縄県民は、沖縄戦における「朝鮮人強制連行」の実態が明らかにされ、広く国民に知らされることを、みずからの生き方の問題として、真剣に見つめている。
沖縄本島の摩文仁の平和祈念公園に「平和の礎」がある。沖縄戦で死んだ敵も味方も「恩讐を越えて対話」し、21世紀の平和を展望しようという理想のもとに、戦没者の名前を石碑に刻んだものである。ここには、強制連行された韓国や北朝鮮の戦没者も刻銘されるように石碑が用意されているが、その石碑の大部分が空白のままになっている。なぜか。「拷問・虐殺され、性の奴隷とされた人々」の遺族が、「天皇の軍隊」と同じ場所に、同胞の名前を刻むことに違和感を持つのは当然である。
「恩讐を越えて対話」という理想は立派だが、ことがらは単純ではない。「戦争責任に時効はない。ヒトラーもアンネ・フランクも同列に刻銘、というわけにはいかない」という韓国の遺族の言葉に心うたれる。
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