日本では朝鮮民主主義人民共和国に拉致された日本人の問題が新聞紙面をにぎわしたが、戦時下日本に強制連行され、今も行方や死亡状況が不明のままになっている朝鮮人が多いことは、ほとんど知られていないのではなかろうか。
そのような人物の一人に江原道春郡春川邑(現春川市)出身の金善在(キムソンジェ)がいる。1934年4月10日に神奈川県川崎市の日本綱管川崎工場で強制連行された朝鮮人834人が全員帰国を要求し、翌日11日には朝鮮人夜間勤務者が一斉にストライキに入った。それは、日本綱管労務次長の朝鮮人に対する差別発言を掲載した小冊子『半島技能工の育成』が金景錫(キムギョンソク)によって発見されたからである。
12日には憲兵や警官の弾圧によって争議は終息したが、この日の争議の首謀者と見なされ手検束された朝鮮人のうち、金善在と趙昌起(チョウチャンギ、黄海道延白郡連南面出身)が7月に治安維持法違反容疑で送検された。
■裁判原本見つからず■
私は現太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会長の金景錫の説得のおかげで、日本人には会いたくないという金善在の弟金在完に1992年8月22日に春川市で面会し、金善在は帰国しなかったことを確認した。
同年10月14日、金在完からの委任状や関係資料を添えて横浜地方検察庁に金善在の裁判原本(判決言渡書の原本)の調査の要請書を提出した。翌年1月14日、私は検察庁に調査結果について電話で問い合わせると、金善在の裁判原本も趙昌起きの裁判原本も見当たらないという回答だった。
私は文書回答を要求すると、20日付文書で「当庁で保管されている裁判原本のうち昭和18年から22年までのものはを調査した結果、『金善在(日本名・金原善在)氏』に関するものは見当たらなかった」と回答してきた。
彼は公判以前に拷問で殺されたのだろうか。私は回答書原文とその朝鮮語訳を金在完に送った。私は彼に怒られると覚悟していたが、意外にも金会長を通じてお礼の言葉が伝えられてきた。
■「朝鮮人名簿」もなく■
1993年2月には韓国江原道原州市の洪淳棋(ホンスンギ)から私に手紙が届いた。その手紙には、彼の兄洪淳祚(ホンスンジョ、日本名・山田淳祚)は1941年に忠清南道大徳郡から青森県の三菱炭鉱に連行されたが、解放後手紙が来なくなり行方不明なので兄を探してほしいと書かれていた。
私は、青森県には炭鉱はない、兄が連行された企業名と所在地が兄の手紙の封筒または葉書には記載されているだろうから、それを送ってほしいと手紙で要請した。しかし洪淳棋からの返信によると、朝鮮戦争の際に兄の手紙は焼失したとのことだった。
そこで私は帰国する朝鮮人を乗せて青森県大湊を出港し舞鶴で沈没した浮島丸の事件の朝鮮人犠牲者の名簿を取り寄せたが、洪淳祚の名前は見当たらなかった。いわゆる「厚生省名簿」、すなわち1946年に厚生省が地方長官経由で事業所に作成させた朝鮮人名簿も、青森県の分は残されていない。結局、この件もまた迷宮入りとなった。
強制連行された肉親の行方や死亡状況が不明の朝鮮人遺族は多いだろう。この状況を放置してきた日本政府の罪は重い。ちなみに言えば、拙著『関東大震災時の朝鮮人虐殺ーその国家責任と民衆責任ー』(創史社、2003年)で解明したことだが、関東大震災時にも日本政府は殺された朝鮮人の遺体を隠匿して朝鮮人に渡さず、遺族を悲憤させた。日本人は、行方不明にされた朝鮮人死者とその遺族の思いをどう受け止めたらよいのだろうか。 |