沖縄に動員・従軍させられた元朝鮮人軍夫らの
「太平洋戦争・沖縄戦被徴発朝鮮半島出身者恨之碑」建立をすすめる会
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 去る沖縄戦で、多くの住民が日米軍の戦闘に巻き込まれ犠牲となった。犠牲になった人々の多くはどこで死んだのか、どのように死んだのか分らない。遺骨さえ遺族の元へは戻らなかった。故に遺族は弔いたくても、命日も遺骨を安置した墓もない戦没者を弔うことは困難であった。

 戦後、住民は至る所に放置されていた遺骨を、住民、日本軍、米軍、朝鮮人の区別なく収集し、魂魄の塔を建立し戦没者を弔う場所を設けた。そして6月23日を慰霊の日として、命日のない戦没者の弔う日を設定した。そして1995年には戦没者の名前を刻んだ「平和の礎」を建立した。

 現在、6月23日の慰霊の日には、いつもはほとんど車の通らない、平和の礎や魂魄の塔への道が大渋滞になる。平和の礎や魂魄の塔の周辺では、まるで墓参りにいくように線香や重箱を持って訪れる人が多く見られる。先の取り組みのおかげで、遺族はようやく戦没者を弔うことができるようになったのである。

 日本政府は、軍人・軍属については詳細に調べたが、一般住民と朝鮮人の被害については調査もせずに放置した。よって住民は自らの手で自身の被害実態を解明し、先のような取り組みを行ったのである。しかし残念ながら、その解明作業は朝鮮人戦没者の実態解明にまでは至っていない。

沖縄戦には「慰安婦」は1000人以上、朝鮮人軍夫に至っては1万人以上が動員されたと見られている。しかし平和の礎に刻銘された、朝鮮半島出身者はわずか423人(2004年6月23日現在)にすぎない。この人数は動員された人数を少なく見積もっても4%に満たない。多くの朝鮮人の遺族は沖縄戦で亡くなったことすら確認できず、いまだに命日のわからない、遺骨のない戦没者を弔えずにいるのである。

 現在、沖縄ブームと盛んに叫ばれているが、それは沖縄の戦後補償問題に寄与していない。よって多くの沖縄の人は日本政府を、そしてヤマトを許してはいない。同じように韓流ブームがわき起こっていても、それが「慰安婦」や朝鮮人軍夫の実態解明へと結びつかないのであれば、韓国の人は沖縄人を許さないであろう。韓国と沖縄の友好交流は築けないのである。

 真の交流を、私たちが主体となって築かなければならない。その取り組みの一つとして、4月23日土曜日、午後7時から、読谷村文化センターで、小橋川清弘さんを講師に迎えて、読谷村史編纂の中で明らかとなった軍夫や「慰安婦」について学び合う会を持つ。多くのご参加をお待ちしています。

 

(韓国と真の交流へ」(2005年4月21日 沖縄タイムス・オピニオン欄掲載)      

   
   

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