| 人権蹂躙の歴史 求められる真相究明
1939年、巨大な軍事力保持のために、軍需生産に国民を総動員する「国民徴用令」が公布された。
太平洋戦争が末期に入った1944年4月、植民地として 日本が支配していた朝鮮半島では「徴兵制度」が強行され、敗戦までに約20万人が徴兵され、各地の戦線に連れていかれた。
戦争の長期化で日本は深刻な人手不足になり、朝鮮人労働者の「集団募集」、国家による「斡旋」という名目で、さらには「国民徴兵令」の「徴用」により、日本各地の炭鉱、鉱山、軍事施設に朝鮮の若者が強制連行された。その数は100万人以上といわれている。
沖縄にも1万人以上の若者が動員され、米軍が本島に上陸し沖縄戦がはじまると、朝鮮人男性は軍夫として特攻基地の最前線に立たされ、銃撃や爆撃で多くの人たちの命が奪われた。
阿嘉島に連行された姜仁昌(カン・インチャン)さん、宮古島に連行された徐正福(ソ・ジョンボク)さんの出身地、慶尚北道は、最も多くの数の人たちが沖縄へ強制的に連行されている。生きて故郷に帰ることができた2人は、苦難の同胞を偲び、地元と沖縄に「恨之碑」をそれぞれ1基ずつ建てたいと切望され、英陽(ヨンヤン)郡に1基建てることができた。
戦後補償の実現を求めて戦い続けている韓国の人々や地元自治体の協力は大きく、公用地の提供、公費補助を受けることができた。
沖縄を含め、日本では戦後補償という問題はかなり遅れている。
沖縄での建立を進めるにあたって、どうしても英陽郡に行く必要を感じ、今月初め現地に向かった。
「太平洋戦争被害者補償推進協議会」事務局長の金銀植(キム・ウンショク)さんたちの案内で、姜仁昌さんの家を訪ね、体験をうかがい、一緒に英陽郡の高台の「恨之碑」の前に立った。
金城実氏の彫刻による力強いレリーフに、心がゆさぶられ、近くに建てられている独立運動に立ち上がったために殺害された150人の刻銘碑にも心を動かされた。
沖縄に連行された慶尚北道出身者を刻銘した「餘恨碑」には、創氏改名のままの刻銘が多く、人権蹂躙の歴史の重さをあらためて深く思い知らされた。
沖縄での建立を早く実現してほしいと願っている姜さんたちの思いをしっかり受けとめ、またの再会を約束して姜さんの家を後にした。
大田(デジュン)で開催された「過去精算関連団体全国連席会議」(主催・正義を取り戻すための全国会議)にも参加し、活動者たちを交流する中でたくさんのことを学んだ。
韓国では、過去の大規模な人権蹂躙・虐殺行為の真相究明や被害者の名誉挽回のために、「真相究明法」が次々と成立している。
「強制連行問題」や「慰安婦」問題、戦後補償問題において、日本政府の怠慢により真相究明が遅々として進まない日本の現状とは著しく対照的だ。戦争中、天皇制、軍国主義、帝国主義の旗の下で、犠牲を強いられた沖縄からも真相究明を求める声を広げなければならない。
東アジアで生きる市民と、市民として伸び伸びとつながっていくためにも、歴史の真実をしっかりと継承していきたい。
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