沖縄に動員・従軍させられた元朝鮮人軍夫らの
「太平洋戦争・沖縄戦被徴発朝鮮半島出身者恨之碑」建立をすすめる会
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幾多の悲劇を生んだアジア太平洋戦争。そして沖縄戦。その終結からすでに半世紀以上が経過しました。この間、その実相を明らかにし、犠牲者を追悼するとともに、歴史の教訓を後世に語り継ぐ努力が多くの方々によって積み重ねられてきました。沖縄県による「平和の礎」も、こうした取り組みのひとつであり、また、その他にも多くの先立つ取り組みがありました。例えば座間味村阿嘉島での戦没元朝鮮人軍夫の方々の招魂祭と韓国・慶尚北道・慶山(キョンサン)郡での慰霊碑建立、渡嘉敷島での「日本軍慰安婦」のための「アリラン慰霊のモニュメント」建立、久米島の「久米島在朝鮮人痛恨の碑」、等です。

しかし、沖縄に数千人から数万人が連行されたといわれる朝鮮人軍夫の存在と悲劇は今なお闇に埋もれたままです。彼らは、丸腰のまま敵襲にさらされ、満足に食料も与えられないままで港湾荷役や武器・軍需物資の運搬、また掩蔽壕掘り等に従事させられました。この中で、多くが戦死し、餓死し、さらには日本軍によって「スパイ」、「軍規違反」の名目で処刑される者すら存在したのです。しかし、このような事実が今なお公式の記録にほとんど残されていません。日本政府は朝鮮半島から沖縄戦に何人動員し、何人死に至らしめたのか、だれが戦没し、だれが生きて帰還したのか、このような事実を明らかにしていません。沖縄の「平和の礎」への刻銘も、朝鮮半島出身者はわずか423名(2004年6月23日現在)にとどまっています。



1997年7月

韓国・慶尚北道・英陽郡在住の姜仁昌(カン・インチャン)さんが沖縄で開かれた「平和と民主主義をめざす全国交歓会」に参加。阿嘉島で同胞12人が日本軍によって処刑されるのに立ち会わされた体験を証言し、「今も異郷でさまよう犠牲者たちの遺骨を故国に持ち帰り手厚く弔いたい、そのために、日本の心ある人々の支援をお願いする」と痛切な訴え。

1997年12月

再び訪れた姜仁昌さんとともに、遺骨調査に取り組む。この調査には、姜さんと同じ慶尚北道出身で、宮古島へ連行され、やはり多くの同胞が海の藻屑と消えるのを目の当たりにした徐正福(ソ・ジョンボク)さんも参加。徐さんもまた「亡き同胞の霊を弔いたい」と強く願っていた。

阿嘉島での調査は、処刑現場の特定など多くの成果を得たものの、遺骨そのものはもはや阿嘉島には存在せず、戦後間もなく地元の人々によって発掘され、沖縄のどこかの慰霊塔に合祀されたと推察することができた。  この調査を経て、「遺骨を故国に持ち帰りたい」との思いにひとつの区切りをつけ、韓国と沖縄の双方に追悼と祈念のモニュメントをということになった。

しかしそれは日本帝国に侵略されたという同じ歴史体験をもちながらも日本に組み込まれた沖縄にとっては、日本帝国による被害者であり、韓国に対しては加害者であった沖縄戦の事実をふまえつつ、「共生への道を求めていく課題」を引き受けることになる。その上でモニュメントの製作は、沖縄の彫刻家金城実さんに引き受けていただくことになった。

1998年11月

金城実さん他事務局メンバーが韓国内での建設予定地である慶尚北道・英陽郡を訪れ、姜さん、徐さん、遺族会の方々と、モニュメントについて具体的に話し合い、碑の名を「太平洋戦争・沖縄戦被徴発者恨之碑」と決定。

1998年12月

那覇市の「てぃるる」にて、呼びかけ人・事務局中心メンバーの参加のもと会議。「太平洋戦争・沖縄戦被徴発者恨之碑建立をすすめる会」が発足。

1999年3月

全国募金活動本格開始。この間、碑の製作も同時進行。5月中旬には、金城実さんによるレリーフが完成。その後、ブロンズ化や碑の設置、全体の設計を韓国青年彫刻家たちが担う。時間がない中での文字通りの突貫工事であった。募金も、実質5か月で、全国33都道府県、約700名から総額約700万円が寄せられた。

1999年8月12日 慶尚北道・英陽郡で「恨之碑」完成除幕式。

2001年12月 事務局数名による英陽訪問。小規模な追悼式を行う。

2002年11月

呼びかけ人共同代表の平良修他数名の英陽訪問。小規模な追悼式を行う。同時に沖縄での建立を急ぐことを確認。

2003年11月

豆多敏紀全国事務局長、平良修共同代表らが、英陽訪問。韓国の関係者たちと交流した。

2004年7月

平良修代表らは、英陽訪問。沖縄に連行された慶尚北道出身者名を刻銘した「餘恨碑」除幕式に列席。

2004年8月

碑名を「太平洋戦争・沖縄戦被徴発朝鮮半島出身者恨之碑」に改 め、新呼びかけ人会を開いて、全国募金を開始。

2005年3月5

呼びかけ人会にて、碑名を「アジア太平洋戦争・沖縄戦被徴発朝鮮半島出身者恨之碑」に修正されることが、決定。


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